MAMMA MIA!!

ラーメン屋 Wさん

一番印象に残っていて、今思い出しても胸が切なくなるのは、Wさんでしょうか。その頃外科病棟にいました。

60代の男性のWさんは、受診した時には、かなり進行した食道癌でした。
2ヶ月間放射線治療、化学療法を行い、癌を叩き、幸い手術できる程度まで癌は落ち着きました。
一度退院して、治療で痛んだ体を休め、手術のために再入院です。

もともとご夫婦ともに気さくな方で、近所のおじさんという感じでした。
幸い、御家族も私たちをとても信頼して下さっていました。

食道の手術は、大きな手術となります。
Wさんの手術も大変な手術となり、何時間にも及びました。
手術後はICUに入室されました。

そこからが大変だったようです。
なかなか回復しないWさんは、2ヶ月もの間ICUで過ごされました。
何度もお見舞いに行きましたが、一時的にせん妄状態となり、会話はできませんでした。

なんとか回復して私たちの病棟に戻ってきました。
その頃には、せん妄も治り、もとのWさんになっていました。

その後も、上手く呼吸ができなかったり、他の病気もあったりと、なかなか退院できませんでした。
しかし、本人は退院したい。
私も主治医もなんとか退院させてあげたい。

ということで、のどに穴が開いたまま、お腹からは栄養を直接入れるチューブを付けたままの退院を目指すことに。
本人、奥様に穴やチューブの管理を覚えてもらい、なんとか退院することになりました。

「今度、みんなでラーメン食べに来てよ。」
よくWさんは言っていました。

しばらく家で過ごされていましたが、状態が悪くなり、再入院。
私のいる病棟が満床だったため、違う病棟に入院されました。
主治医から再入院を聞き、奥様も挨拶に見え、お見舞いに行きましたが、意識があまりよくなく、徘徊したり、放尿したりする状態でした。

なんとか自分が受け持ち看護師として、Wさんを看たい・・・。
その思いを看護長、主治医に伝え、大変な状態だったWさんを外科病棟に引き取ることになりました。

チームのみなさんには、大変苦労をかけたと思います。
でも快く皆さん協力してくれました。

治療の甲斐もあり、意識は良くなりましたが、とにかく全身状態は良くない。
もう退院できないかも・・・。

なにがしてあげられるのか。まだ新米だった私にできること、考えられることは限られていました。
毎日悩みながら、Wさん夫婦と向かい合いました。
私が結婚する時には、自分の孫のように喜んでくれました。

そして、Wさんは息を引き取りました。
長い闘病のほとんどを一緒に過ごしたこともあり、いままで出会ってきた患者さんの中で、特に印象に残っています。
奥様は、その後も挨拶に見えましたが、仲の良かったご夫婦だったので、なかなか立ち直れないようでした。

Wさん、空の上で何をしてますか?
ラーメンを作ってるのかな。
今でもWさんの笑顔を忘れません。
そして、Wさんのように終末期の患者さんがやってくる度に、Wさんにしてあげたかったことをしようと努力してます。
Wさんのおかげで、今の私があります。
ありがとう。


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